笠岡市茂平 八幡神社の丘から見渡す、茂平・百年の物語

笠岡観光

時を忘れる見晴らし

茂平の街を見守るように鎮座する「八幡神社」。
その小高い境内に立ち、今の工業団地や広大な干拓地を眺めていると、地元の方が語ってくれた「かつての茂平」の風景が、静かに鮮やかに蘇ってきます

1. 苦難から始まった「希望の果実」

かつてこの眼下に広がっていたのは、豊かな水田ではなく、お米の作れない厳しい塩害の地でした。大冝の高田氏の支配下にあり、生活は決して楽ではありませんでした。
しかし、先人たちは諦めませんでした。塩に強い「綿」を植え、いちごやぶどう、そして「いちじく」の栽培に汗を流しました。
「駅まで干しいちじくを売りに行ったら、珍しがられて飛ぶように売れたんよ」
そんな誇らしげな記憶が、現在の豊かな果樹園のルーツとなっています。

2. 白い塩田と、厄介者の「ドンガメ」

今、ヒルタ工業などの工場が立ち並ぶあたりには、かつて真っ白な「塩田」が広がっていました。
その先の干潟には、カブトガニ(通称:ドンガメ)が驚くほどたくさんいたと言います。
「網を破るから漁師泣かせでね。捕まえては七輪で焼いて食べたもんよ。足はカニみたいで、卵は独特の風味があったなあ」
現在は天然記念物として大切に守られているカブトガニも、当時は暮らしのすぐそばにいた、たくましい海の記憶の一部です。

3. 干潟は、子供たちの天然の遊び場

堤防が築かれる前、海は今よりもっと身近にありました。
昭和初期の子供たちは、引き潮になれば干潟へ駆け出しました。二つの穴を見つけては片方を足で踏み、飛び出してきたシャコを素手で捕まえる「シャコ踏み」。20分もあればバケツがいっぱいになった大きなアサリ。
「寿司で使うようなのじゃない、足の細いタコもたくさん釣れたんよ」
そこには、自然と格闘しながらも、笑顔が溢れていた子供たちの日常がありました。

未来へつなぐ、地域の記憶

八幡神社の風に吹かれながら景色を眺めていると、不毛の地を切り拓き、知恵を絞って生き抜いてきた人々の熱量が伝わってくるようです。
景色は塩田から工業団地へ、干潟から干拓地へと姿を変えましたが、困難を乗り越えて新しい価値を生み出してきた茂平の精神は、今もこの街に息づいています。
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