笠岡東公民館が発行した「ふるさと探訪」という本に沿って笠岡市入江・横島を散策しました。今回はふるさと探訪の執筆に携わった長安さんからこの地の伝説、言い伝えなど面白い話が聞けました。
今回のルート
横島会館→八幡宮跡→いぼ神様→道通神社→いぼの木→工業高校裏の古墳跡



八幡宮跡
今回の散策は、まず横島会館に車を停めてスタートします。
横島八幡宮は、かつて数十本の老松が立ち並び、潮風が吹き抜ける浜辺の神社で、長いあいだ横島の氏神様として親しまれていました。しかし明治45年に道通神社へ合祀され、現在は八幡宮があった場所に石碑だけが残っています。
地元の人たちは、この八幡宮を「八幡さん」と呼んで慕っていたそうです☺️
松濤(しょうとう)
横島八幡宮には、かつて数十本の古い松が植えられていました。その中でも、樹齢500年とも言われる大きな松の根元に建てられたのが、この「松濤(しょうとう)」の碑です。
「松濤」という名は、元和の時代に福山藩主・水野勝成公がこの地を巡視した際に名付けたものだと伝わっています。
蛭子神社
この周辺には、小さな神社がいくつもあります。そのひとつである「蛭子神社(えびすじんじゃ)」は、八幡宮の境内にある末社です。昔から漁業に関わる人々の信仰を集めてきました。
かつては「奉納こども相撲」も行われており、私も見かけたことがありますが、少子化の影響で現在は開催されていないそうです。
光円寺横島説教所
ここはもともと「敬業館講堂」と呼ばれていました。郷校(ごうこう)という地域の教育施設で、四書五経(ししょごきょう)を学ぶ場所でした。
四書五経とは、儒教で特に大切とされる9つの中国の古典をまとめた呼び名です。



いぼ神様
松濤の碑から池田の散髪屋を右に曲がり、すぐ左に折れると、突き当たりにお墓へ続く道があります。
いぼ神様は、その先にある高森家の墓地の中に祀られています。丸い御神体の石を覆うように小さな社が建てられており、中には鳥居も納められています。
昔から、この丸石と自分のイボの間に小枝を渡し、「いぼいぼ渡れ」と唱えると、数日でイボが取れると言い伝えられています。今回案内してくれた長安さんも、実際にイボが治った一人で、祠の灰をイボに塗ったところ取れたそうです。
この丸い御神体の石は、もともと五輪塔の一部だったのではないかとも考えられています。
道通神社の呪いの松・トウビョウ伝説
呪いの松
道通神社には昔、「呪いの松」と呼ばれる木がありました。誰にも見つからないようにその松に藁人形を打ち付けると、恨みの相手を呪い殺せると信じられていたそうです。
呪われた相手の家には、たくさんの小さな蛇が現れ、毒蛇に噛まれて命を落としたり、蛇の多さに精神を病んで亡くなってしまう、といったさまざまな言い伝えがあります。
ただし、呪いをかけた本人も、3年以内に命を落とすと言われていました。
トウビョウ伝説
トウビョウ伝説にはさまざまな話がありますが、長安さんのお話では、明治の頃、道通神社の拝殿を再建する時に小さな蛇がたくさん現れたそうです。そこで、ある人がその蛇たちをツボに入れて安全な場所へ避難させました。すると、その恩返しとして、道通神社は蛇の神様として人々を守ってくれるようになった――そんな伝説が伝わっています。


いぼの木
少し車で移動して、入江にある「鳥越新兵衛の碑」のあたりへ向かいます。イボの木は、そこから少し登った場所にあります。
この木の葉と自分のイボの間に小枝を渡し、「いぼいぼ渡れ」と唱えると、体のイボが消えると伝えられています。実際にこの木の葉っぱにはイボのような突起がありますが、これはアブラムシがつくった「虫えい(虫こぶ)」だそうです。

塚大明神の碑
笠岡工業高校の裏あたりには「塚大明神」という碑があります。昔はこの場所に山がありその上に古代の横穴式古墳があり、その石室の入口が開いて見えていたそうです。

