今回も長安圭一さんに同行してもらい神島を散策してきました。
源吾明神
地元では「源五郎さま」と親しみを込めて呼ばれている源吾明神は、胸の病、胃の病に霊験ありとして多くの参拝者が訪れます。正砂地区の山裾にあり、神島四国霊場二三札所藥王寺の向かって右側にあります。お詣りは小さな弓と矢を作ってお供えする風習が伝わっています。大願成就の暁には年の数だけ矢と弓を持ってお礼詣りをするそうです。※源吾明神の由来について、諸説あります。
神島四国霊場二三札所藥王寺
ご本尊は薬師如来です。堂舎の前に石臼と小槌が置かれています。この小槌で石臼を撫でて、その小槌で自分の体の悪い部分をさすると、よくなると言われています。
庚申堂(こうしんどう)
神島四国霊場二三札所藥王寺の向かって左側にあります。現在「大師堂」と言われていますが、昭和中期までは「庚申堂」と呼ばれていました。堂内には「三猿(見ざる・聞かざる・言わざる)」が祀られています。農業の神として広く信仰されています。祭りの当日は村内や縁故者が祭祀を引受た頭屋に集まり、小豆飯を炊いて供え、仕事を休み酒宴を設け、徹夜で語り明かし遊楽にふけったそうです。庚申の夜に眠ると体内の三尺虫(さんしちゅう)が上帝に訴えて、人の命を短くすると言われていたそうです。また、女性も仕事から解放されるが、その夜、妊娠すると悪人を産むと言い伝えられています。





神島神社
御祭神は神日本磐余彦命(かみやまといわれひこのみこと(神武天皇))と興世姫命(おきよひめのみこと(神武天皇の妻))。創建は奈良時代(726)と伝えられ、室町時代(1547)に本殿の御造営が行われたことが棟札によって知られています。
長安圭一さんのお話によると、高島と神島は、かつて地続きだったそうです。和銅年間に大きな津波があり、島は二つに分かれたそうです。また、神島はもともと「こうしま」と呼ばれており、漢字を当てる際に誤って「神島」となった可能性もあるそうです。さらに、神武天皇が滞在した場所は、この神島だったのではないか――。このように、この地には高島伝説としてさまざまな言い伝えが今も語り継がれています。
モンティンルパの慰霊碑
モンティンルパの慰霊碑(日本人墓地)は、フィリピンの首都マニラ郊外にあるモンティンルパ市(Muntinlupa City)のニュー・ビリビッド刑務所近くに建てられた、第二次世界大戦後の戦犯として処刑された日本人将兵らを追悼する場所です。











日光寺
日本庭園
とても見晴らしのいい日本庭園です。テーブルセットもあるので、休憩することができます。かつては梅林で有名な庭園でしたが現在は見ることができません。
絹本著色地蔵十王像
文部省指定重要文化財。現在は岡山県立美術館に所蔵してあり、かつて、日光寺の本殿左の建物にあったそうです。日光寺の仏画は、朝鮮半島との交流を物語る歴史的遺産ではないかと想像されます。
宝蔵坊
日光寺の裏山にかつてありました。日光寺の塔頭(たっちゅう)の一つで、明治十五年、それまで寺院のなかった北木島から要請され、同島へ移転したそうです。(現在の福厳寺)
→塔頭とは大きなお寺の中にある「小さなお寺」でお坊さんの住まい。
閑香の塔婆(かんかのとうば)
日光寺裏の墓地に、変わった形をした石塔があります。花崗岩製で、円柱形の塔身と丸い形の笠を持っています。特異な形式の墓石で、墓制史上非常に珍しいものといわれています。








満福寺
高野山真言宗遍照寺末寺、日光寺の隠居寺として、天正年間(1573ー91)に開創されたと言われています。
村上景広の棟札
笠岡市重要文化財。棟札から、満福寺は当時笠岡城主であった村上景広によって天正14年(1588)年10月15日に創建されたことがわかります。


